トライアルワークス小坂


新潟県中越地震・ボランティア活動報告

新潟県中越地震・ボランティア活動報告

災害ボランティアバイクネットワーク埼玉 副隊長 小坂政弘

(このページは、2004年10月に発生した「新潟県中越地震」で大きな被害を受けた小千谷市へ
地震発生一週間後に現地入りし、実際にバイクによるボランティア活動を行なった際、
現地から掲示板に書き込んだレポートです)



 小千谷市へ出発  小坂 政弘      
10月30日夜から11月1日の間、新潟県中越地震の被災地である小千谷市でボランティア活動をするために、災害ボランティアバイクネットワーク埼玉の隊員である佐々木朋浩さんと私で一緒に行ってまいりました。

同隊長・神谷忠さんと生田目俊之隊員は10月28日から先に現地入りしてすでに活動中で、その先遣隊と合流して一緒に活動するべく、私とTWKハイエース号は30日夜7時過ぎ、佐々木さんとの待ち合わせ場所である関越道所沢インター目指し出発した。


ナンバー付バイクを持っていない私だったが、ちょうど整備で預かっていたお客さんのMONTESAを強引に借りていくことに。
ジャスミンさん、ご協力ありがとうございました!

参考までに、左側にこのアイコンが表示されてる文章は、現地から携帯で書き込んだ生情報で、このアイコンは後から追加で書き込んだ文章です。

(記事最下段に表示されている投稿時刻はすべて30分ほど進んでいます)

No.32   2004年11月05日 (金) 午前 04時13分


 所沢に到着  小坂      
今、関越道所沢をおりた所です。
ここで佐々木さんと待ち合わせ。

あ〜携帯で書き込むのかったるい!

No.6   2004年10月30日 (土) 午後 08時49分
    Re: 所沢に到着  小坂 政弘      
    待ち合わせ場所で少し待っていると、佐々木さん到着。
雨が降る中、佐々木さんのバイク・TL125とたくさんの荷物を積み込んでいよいよ小千谷市に向かって出発です。




No.31   2004年11月05日 (金) 午前 03時40分


 小千谷市到着!  小坂      
一時半に小千谷インター近くのボランティア用駐車場(DAMZというパチンコ屋駐車場)に着きました。

小千谷市内はいたるところに地震の爪跡が・・・

これからハイエース内で佐々木さんと一夜を共にします。
奥さんゆ・る・し・て!?
No.7   2004年10月31日 (日) 午前 02時55分
    Re: 小千谷市到着!  小坂 政弘      
    小千谷市に近づくにつれ、道路が波を打ってたり段差ができてたりと、地震の爪跡を実感できるようになってきます。
市内に入ると、電信柱がみんな傾いていたり建物も傾いていたりで、なんだか不思議な光景。デッサンが狂っているというか、トリックアートを見てるみたいというか‥‥‥。

そして、道に迷うこともなく先遣隊から聞いたパチンコ屋の駐車場に到着。
荷物をおろし、テントを広げたりしていたら横に止まっていたトラックの窓が開いて人が顔を出す。まさか中で寝てると思わなかったもので、うるさくしてすみませんでした。私たちもすぐ寝ます。


ハイエースTWK号の寝心地はいかがですか佐々木さん?

No.30   2004年11月05日 (金) 午前 03時35分


 現地報告その 1  小坂      
今、午前中の活動を終わって昼休み中です。

現在のバイク隊の仕事は「ニーズ調査」と言って、各避難所へ行って必要な物を聞いて、本部に報告する仕事がメインです。

よって、トライアルバイクより、普通のバイクの方が適してます。

あと、必要なのはトライアルテクニックではなく、初めての土地に行って、地図を頼りに指定の場所へたどりつける能力です。
No.10   2004年10月31日 (日) 午後 01時53分
    Re: 現地報告その 1  小坂 政弘      
    1日目の仕事は、市内各所にある避難所へ行って、どんな要望があるか聞いてくる"ニーズ調査"。
この仕事にはトライアルバイクよりも、オフロードバイクの方が適任だ。


荷物を運ぶ仕事もあるので、こんな風に箱を取り付けたオフ車(TL125もあったが)が最高かもしれない。
この人たち、プロのボランティアか???

この日は日曜という事で、63台ものバイクボランティアが集まったので、ほとんど仕事がまわってこない。そこで、すでにあちこち走り回っている生田目さんに先導してもらい、市内の様子を少し見てまわることにした。


小千谷インターすぐ脇の小さな橋。MONTESAならこれくらい楽勝だが‥‥‥。


いたるところで見られる、飛び出たマンホール。
なんでこうなってしまったのか‥‥‥。マンホールが持ち上がったのではなく、地面が下がったという事なのだろうか?

この他にも、電柱が倒れていたり家が壊れていたりという光景があちこちで見られ、地震の凄まじさを生で実感する事ができました。

そして神谷隊長は仕事の都合で先に帰られました。


自衛隊車両ではありません。神谷隊長の愛車です。
クレーンでバイクを吊り上げて積載します。

No.29   2004年11月05日 (金) 午前 03時18分


 ミーティング出席中  小坂      
ちょっと予想外の展開。
今休憩中ですが八時から再開。

遅くまでかかりそう。
No.11   2004年10月31日 (日) 午後 08時23分
    ミーティング終了  小坂      
    ボランティアの指揮を取る人たちの疲労がピークに達していて、今日までバイク隊の指揮を取っていた二人が明日から来ないので、急遽埼玉の三人(佐々木さん生田目さん私。神谷隊長は本日帰還)が代役を務める事になりました。

それでミーティングに出たのですが、いろいろ勉強になります。
No.12   2004年11月01日 (月) 午前 00時02分
    Re: ミーティング出席中  小坂 政弘      
    この日の仕事が全部終わった夕方になって、バイク隊を仕切っていた二人が、ふたりとも今日で帰ってしまうので明日誰かこの仕事を引き継いでほしいと言い出した。

私は今日来たばっかりで、仕事の流れがまだよく飲み込めていないのでそれは無理、と思っていたが、誰も「私がやります」と名乗り出ない。しばらく経って、じゃあ私たちが‥‥‥と言おうかと思った時に佐々木さんが「じゃあ私たちがやりましょう」と言ってくれた。

そう、これもいい経験になるはずだ。生田目さんはもう何日もいて流れがわかっているだろうし、3人いればなんとかなるさ!

そうと決まったら、今度は各セクションのチーフ級が集まる、夜のミーティングに急遽出席することになったのだが、これがすごかった!
とにかくみんな疲れているのに、理路整然と説得力のある発言が次から次へと出てくる。まぁ、中には感情的になって食ってかかるような発言や、何を言いたいのか伝わってこないような発言もたまにあるのだけど、そんな時の対処の仕方なども含めてこのミーティングを仕切っていた寺嶋さんという人はすごい人だと思った。
そのほかにも、この人は頭が切れる!と思わせる人物が何人もいて、このミーティングは今まで私が経験した中で一番ハイレベルで内容が濃いものだったように思う。

一時は朝まで続くのではないかと思わせたこのミーティングも、10時頃に終わった。
その後車に戻り、埼玉の三人でいろいろ話をしたりして、眠りについたのは12時をまわっていた‥‥‥。



ボランティア用駐車場から見た小千谷市総合体育館。
この中で、約2000人の被災者の方が避難生活を送っている。

No.28   2004年11月05日 (金) 午前 02時47分


 やっと終わりました  小坂      
今日は丸一日いっぱいいっぱいでメール打ったり写真撮ったりしてる余裕ありませんでした。

今やっと夕食が済んだところで、もう少ししたら帰ります。

疲れたので詳しいことは帰ってゆっくり休んでから報告します。
No.16   2004年11月01日 (月) 午後 10時00分
    Re: やっと終わりました  小坂 政弘      
    この日は埼玉の三人組で指揮をとる事になったわけですが、「指揮をとる」という言葉はちょっとニュアンスが違うけど、他に適切な言葉が見つからなかったので、そう表現したまで。

仕事の内容は、まず朝イチでバイク隊を集めてミーティングを行なう。そして、日本赤十字の方から依頼が回ってきた仕事をライダーに割り振ったり、戻ってきたライダーからの情報を日赤の方に伝えたり‥‥‥文章にすると簡単そうだけど、いろいろ確認しなければならない事が多くて、テンパリっぱなし。私たちだけでなく、各セクションのチーフはみんなテンパってます。

特にこの日は、午後遅くなってから結構時間がかかる仕事の依頼がたくさん入ってきて、ライダーの方もフル稼働で、最後のライダーが戻ってきたのは6時半を過ぎた頃。5時には真っ暗になっていたのでライダーも大変だったけど、本部で待っているほうも心配でした。

そんな中、ちょっとのんびりできる時間があったお昼すぎ、通り雨が去った後の空にきれいな虹がかかっていました。



右の建物はボランティアセンター向かいにある「大竹会館」といって、食料品の保管場所になっている建物です。
これには写ってませんが建物右側にあった非常階段がまるごと倒壊していて、車2台が下敷きになってつぶれたままの状態でした。
No.27   2004年11月05日 (金) 午前 02時06分


 無事帰還  小坂      
四時ちょうどTWKに帰りつきました。とりあえず風呂に入ってすぐ寝ます。
No.17   2004年11月02日 (火) 午前 04時35分
    Re: 無事帰還  小坂 政弘      
    途中長野道を1○0km/hで走行中に余震が来て車がガタガタ揺れたり、関越道が霧で通行止めになっていたりいろいろありましたが、3時半頃にクーダ・モーターサイクルに到着、荷物をおろして佐々木さんとはここでお別れ。お疲れさま&おやすみなさい!

その後関越所沢→外環道→三郷西と走って約30分でTWKに無事到着しました。これにて任務終了。

今回参加したことで、当然のことですが現場に行かないと体験できない貴重な経験をさせていただき、自分で言うのもなんですが人間として少しですが大きくなって帰ってこれた気がしています。

今後この経験を生かし、もっと良い活動ができるよう頑張って行きたいと思います。
といっても、災害ボランティアの出番が来るような事が起こらないのが一番なのですが‥‥‥。

という訳で、今回新たな試みとして、携帯を使って現地からの情報を生で書き込んでみる事にしたのですが、実際に現地入りしてからはそんな余裕がほとんどない状態で、やや「企画倒れ」気味になってしまいました。

でも、ボランティア活動をするのが目的で行ったわけで、自分のサイトのネタ集めや話題作りのために行ったのではないので、その点はご了承ください。

このページを見た人にほんの少しでも現場の空気が伝わって、何か参考になる事があれば幸いです。

(終わり)


No.26   2004年11月05日 (金) 午前 01時47分
    そのうち追記予定です。  小坂 政弘      
    これでおしまいだと、ただ「こんな事やってきました」という自慢話(?)だけで、参考になることがなさすぎるので、現地に行って気付いた事や注意点などを簡単にまとめてここに追記しようと考えています。

今はちょっと仕事が溜まってしまってるので、暇をみてになりますが‥‥‥。
No.33   2004年11月06日 (土) 午後 00時06分
    〜現地で活動して感じたこと〜(11/7追記)  小坂 政弘      
    いろいろありすぎて整理できないのですが、とりあえず思いついたことを書き出してみます。

≪被災した場合の注意点≫

・まず、ご存知のとおり携帯電話は使い物にならなくなるので、家族間の連絡等はNTTの災害用伝言ダイヤル等を利用できるよう、事前に使用方法などを確認しておく→ http://www.ntt-east.co.jp/voiceml/

・携帯電話各社にお願いします。カメラ付や着メロなど余計な機能はもうどうでもいいから、災害時にちゃんと通話ができるようなシステム作りに全力を注いでください。

・上下水道が断裂してしまった場合、水洗トイレは使い物にならなくなるので、その場合の対応を平時からもっとみんなに伝えておく必要があると感じた(汲んだ水で流してもダメ)。
また、仮設トイレもすぐ溢れて使い物にならないケースが多いようなので、少しでも長持ちさせる工夫を徹底する(紙は便器内ではなくゴミ袋に捨てる、など)。

・避難所ごとに責任者を決め、災害対策本部やボランティアとの連絡経路を統一する

≪ボランティア側の注意点≫

・今回も、「宿はどこですか?」とか「食事は出ないんですか」と聞いてくるボランティア参加者が多くいたと聞いている。また、ゴミの収集が間に合わない状態の現地に自分達のゴミを捨てていくボランティアのグループがいたのもこの目で見ている。
ボランティアは自分の生活に関しては被災地に頼らず自活していくことが必要条件だが、そういう最低限の「ボランティアとしての心構え」を周知徹底させる必要があると感じた。

・これは一般のボランティアの方には関係ない話だが、災害対策本部内の組織構成をどうするか、といったことや、情報の伝達や収集の経路をどうするか等、あらかじめ各自治体できちんと決めておく(マニュアル化する)ことが絶対必要。ボランティアに指示を出す側は、どのセクションもいっぱいいっぱいの状態になってしまうのが現実で、適切な指示を出せなくなってしまうような状況に陥りやすいので、役割分担がきっちりとできて担当者の負担を少しでも少なくするようなシステム作りが必要と感じた。

・全国各地からいろいろなボランティア組織に所属する方が集まってくるので、組織間の連携をうまく取り合う必要がある。
活動実績の豊富な組織ほど、その現場のやり方に従わず自分たちのやり方で仕切ろうとする傾向があるようにも感じられた。

・バイク隊の中に「トライアル部隊」を別に作り、普通のバイクでは走破できないような場所へ行く仕事を割り当てるようにした方が効率的だと感じた。

≪その他≫

・今後、もし埼玉が甚大な被害を受けるような災害があった場合、我々は出動できないと思われる(自分のことが精一杯でボランティアどころではなくなる)ので、早急に各県でも同じような組織を立ち上げ、各県で協力しあえる体制を確立することが急務であると考えます。

・今回、支援物資はいろいろな企業がすばやい対応で食料・衣料品・日用品等を大量に送ってくれたお陰で、私たちが行った時には十分な量が確保されていたように思う。
大企業にとって、こういう時にすばやい対応で物資面での支援を行うことは大きなイメージアップにもつながるので、今後もこのような支援体制を強化していただきたいと思う。
個人による物資面での支援は、量的な面で焼け石に水という感じなので、この部分は各企業に頑張っていただく方が効率的だと感じた。

とりあえず今思いついたのはこんなところです。
また気が付いたことがあったら、追記しようと思います。

No.34   2004年11月07日 (日) 午後 10時18分
    立ちあがれ!新潟中越!!プロジェクトに参加(2005/01/11追記)  小坂 政弘      
    その後の復旧支援について。

「中越復旧シール募金プロジェクト」に参加しました。
その内容に関しては、新しいページを作りましたのでそちらをご覧ください。
http://twk2.client.jp/chuetsu.html

No.36   2005年01月11日 (火) 午後 03時18分




トライアルワークス小坂